こんにちは、ひらぴすです。久しぶりの更新になってしまった。
ちゃんと書こうとするからハードルが上がっているんだと思うので、あまり気負わずに描くことにします。
このまえ参加した飲み会で、学ぶことが合ったのでメモ。それは、陽キャと陰キャの違いについて。
陽キャと陰キャの違いとは
飲み会で途中から2次会のカラオケに呼ばれた人が、入ってきた瞬間から受けを狙いに行くと言うか、滑るのが怖くないというか、まあ芸人みたいな人だったんです。
で、その途中参加した芸人みたいな人は、当然のようにその場の空気をかっさらっていくわけです。それまでいた人はなんの発言もせずただ笑っている感じになるくらいに。
ここで突然「楽しませる側」と「ただ受け身で座っている人」に別れちゃったんです。
陰キャの定義とは?
で。その芸人みたいな人は、なにかと「あいつ陰キャだな」とか使う人だったんですよ。
で、私の中では陰キャって、「あまり発言しない人」とか、「あまり飲み会に来ない人」つまり「インドア」的な意味だと解釈してたんですね。
または、「明るい人」「暗い人」みたいな。
しかし聞いていると、そのひとにとっての陰キャと陽キャの定義が違っていたんです。
なぜそう思ったかと言うと。
彼が陰キャ、と呼んだ人は、げんに積極的に飲み会には参加しているし、別に口数が少ない訳ではなかったから。
人に影響を与える側か与えられる側か
無口でもなく家から出ない人でもない、じゃあなんなのか?
それは芸人みたいな彼のこの一言でピンときました。
「陰キャはめっちゃ奢らされるんだよ」
たしかに、陰キャと呼ばれた彼は、ものすごい奢らされていました。
しかし本人もまんざらではなさそうで、そこまで嫌な顔をせず勢いで払っていました。(酔っているのはあると思いますが)
そう、陰キャかどうかは、人をコントロールする側か、される側か。これに尽きるのです。
陰キャの原因は自己肯定感の低さ?
なぜ他人にコントロールされてしまうのか。
私なりに仮設を立ててみました。
ひとつは、自分はお金を出さないといる価値がないと思っているから。
来てくれるだけでありがたい存在。いるだけでその場が盛り上がる存在。
それが陽キャなんです。
逆に、陰キャは受け身で、いても誰も喜ばない。だから、お金という対価を支払うことで陽キャと一緒に「いてもらう」ことになってしまうんです。
ちなみに、わたしは陰キャ寄りなのでふつうにこれを書いててつらいですよ。はい。
陰キャの原因は空気が読めない?
あともうひとつの原因として、「空気が読めない」ことがあると思いました。
陽キャたちが奢らせようとするときって、奢らせる側みんなで「あー、こいつそういう感じね。陰キャで払わせてもいいやつね。」と共通言語が目で通じてるんですよね。
陰キャはそれに気づかずに、お金を払うことでその場にいることが歓迎される、あわよくばみんなの視線がゲットできると思ってしまう。
うううううう。これが資本主義。(?)
無理して陽キャになろうとする必要ないと思う
わたし、人を笑わせるスキルなんて無い、、何もせずに笑いが取れるほどの天然キャラでもない、、そう思っているあなた。
無理しなくていいと思います。
搾取されてしまうのは、下手に欲望を持つからです。
「あんなふうに陽キャになりたい」「あんなふうに人脈の多い人になりたい」
そう思って無理に陽キャになろうとするから、「こいつ陽キャになりたくて必死だな」ってかんじでなめられて、しまいに搾取されてしまうのです。
陰キャだからって誰かに迷惑かけました?
飲み会で陽キャに盛り上げてもらった、自分は何もできなかったと思ったとしましょう。
(真の陰キャはそれすら気づいておらず自分も盛り上げに参加してたと思い込んでいる場合も多いと思いますが)
陽キャがその場をかっさらったとて、それは陽キャが勝手にやっていることです。
彼がやりたいからやっているんです。罪悪感を保つ必要はない。
陰キャな自分も認めれば人生ハッピーじゃん
わたしが思うのは、無理に合コンで自分を飾ってもてようとしたり、陽キャぶってカッコつけたりする必要無いんじゃないかってことです。
無理に飾らずに、「自分、ひとりでいるのいちばん落ち着くんだよね〜」って家で読書でもしてるほうが、よっぽど生産性があるし、浪費もしないし、なんなら陽キャよりも魅力的です。
そういう人いいなって思います。インドアな私と合いそう、みたいに、それはそれですてきな出会いもあると思う。
書いていて、わたしも過去はド陰キャで浮いてたし、まわりみんな敵だって思ってたし、芋女子でほんとに痛かったのを思い出して辛くなった。
いまも別にそんな社交的ではないけど、そんな自分で別にいいんじゃないかって思えている。
人をいい悪いで評価すること自体、どうなんだろう
人間に上も下もないって、アドラーは言ってた。
モテないことが悪いのか?それはメディアに翻弄されてるだけだよ。
わたしは、評価を下してくる人間の前に立つと、自分も「あ、このひと私を評価しようとしてる。。。」って気づいてぎこちなくなってしまう。(そこが陰キャw)
とはいえ、こんな私を好きだと言ってくれるひともたくさんいる。いいじゃんそれで。
自分を他人の使う尺度に当てはめる必要はないのだ。
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